2012年11月23日金曜日

第三の男 チターという楽器とは






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楽器の紹介

この、美しい心をもった、チターという楽器は、古い昔、一本の弦のシュイットハルト(Schithalt)という楽器が変化したといわれています。
チターという言葉は、古代ギリシャ語のキターラ(Kithara)という言葉に由来していて、中部ドイツの標準語としてはこの単語はありませんでした。 チターという楽器は、戦争のときに、東方から十字軍(?)あたりが地中海を通 って、ヨーロッパにもち込んで、イタリア、シシリア、スペインを通って北へとやってきて、時代とともに改良されたともいわれています。また、別の説による と、1499年生まれのスイス人の学者トーマス・プラッター(Thomas Platter)は、薄板の上に弦を張り、その下に駒をつけ、毛のついた弓のようなもので演奏したという記録も残っています。
後に、様々な人々によって少しずつ改良が加えられ、現存する最古のチターは1675年と記されたもので、南チロルのブリックセン地方(Brixen)で 製作されたものです。  この楽器の形は長方形で、メロディー用の2本の弦と伴奏用にも又2本の弦があって、すでに14個のめずらしいフレットまでついていて、そのフレッとには 音階が作られています。1763年に作られたというチターを見ると、弦の張り方に進歩が見られ、メロディー弦が3本、伴奏弦が12本、指板に15のフレッ トがつけられています。このころのチターはすべて長方形の箱型でした。
18世紀の末になってその外形に変化が出はじめ、ドイツの楽器作りで有名な町ミッテンワルド(Mittenwald)で私達が今日使用している洋梨型のチターが作られました。このころの演奏法はほとんどトレモロだったようです。

チターがオーストリア及びバイエルン以外のところで知られるようになったのは、アルプスが知られることと深い関連があり、18世紀の末になると、旅行者 が美しい山々の噂をもとに、景色及び住民を訪ねたり、また芸術家達が自然のままの姿や色彩 豊かな民族衣装を描きにやってきました。また、チロル人がナポレオンと戦ったこともヨーロッパ人にとって大変な興味を起こし、チロルの歌等が印刷されたチ ターという楽器がヨーロッパ中に知れ渡ったようです。  1828年6月にワイマール(Weimar)の町で、チターのソロやフルートを加えた二重奏をゲーテに聞かせたという記録が残っています。
1830年前後からたくさんのすばらしいチター演奏家が生まれ、ベルリンのプロイセン宮廷での演奏をはじめ、各地でチターの教育や演奏活動が盛り上り、 ウィーンのチター製作者でキンドルという人は、弟子たちと共に1895年までの50年間に、5万台のチターを製作した記録があるのですから、他の製作者の ことも含めますと大変な数になる訳です。
19世紀末にはヨーロッパ各地にチター協会が生まれ現在は世界各地にまで及んでいます。

チター音楽は非常に幅広く、チェンバロに似た響きもあるところから、ルネッサンス音楽をはじめ古典曲にもよく使われ、現代作曲家の中にもこの楽器のため に作品を書いている人も多く、ドイツで発行されているチター専門誌には、よくこれらの作品や各地のチターコンサートのお知らせがのっています。 教育の面では、ドイツにチターの先生を養成する国立のアカデミーもあり、チターの夏期講習、チター音楽コンクールも開かれたりします。日本チター協会が世 界に名乗りを上げたのが1982年8月7日でした。世界の各チター協会との文化交流に常に務めながら活動をしています。

1949年、第二次世界大戦の傷跡も癒えぬウィーンを舞台に、映画「第三の男」の撮影が開始された。監督キャロル・リードは、この映画の音楽に思慮して いた。そのような時に、ウィーンのチター奏者アントン・カラスとの出逢いが訪れた。カラスはロンドンのリード邸で作曲に取り組んだ。  映画は完成し、1949年9月ロンドンで初めて公開されたときの人々は感動のあまり呆然としたという。 数日後、カンヌ映画祭にてグランプリを受賞した。日本での公開は3年後の1952年9月であった。








20世紀の最高傑作といわれる映画「第三の男」は、1999年に制作50周年を迎えた。今もってその人気は衰えを見せず、当時の映画全盛を過ごした人々にとって、この映画は青春そのものだ。
著者自身が日本全国に於ける演奏や講演を通して接した聴衆との対話の中で、多くの人々がこの映画や音楽に深い関心を抱いていることは驚くほどだ。
1998年発行されたキネマ旬報特別号「映画人100人に聞いた洋画ベスト10」においても、「第三の男」は1位 だった。映画評論家の故淀川長治氏は「第三の男は映画における永遠の教科書である」と語り、また故荻昌弘氏も「この映画を観ずにして、映画を語ることは出 来ない」とまで述べている。
この映画は、これほどに多くの人に慕われているなかで情報は公開されず、様々な憶測や噂が常に先行してきた。特に、映画のヒットに多大な功績を残した音楽に関することも全く事実とは異なる情報が一人歩きしている。日本国内での出版物も同様である。
事実に反する情報と噂が飛び交うこの社会で、何が正しく何が信じられるのかわからないような現実の中で、私は資料に基づき正しいことを歴史に残すという 作業と使命を痛感した。正しい情報と資料はなぜ公開されなかったのか。その最大の理由は、この映画の音楽、作曲、演奏を担当した故アントン・カラスとその 家族が被った非望中傷の痛みからだった。彼らは口を閉ざすことを余儀なくされたのである。
キャロル・リード監督は夫人と彼らの痛みを共にし、これらの件を含めてカラス家の人々を支えてきた。映画が制作されて50年、新世紀が訪れた今日、アン トン・カラスの家族は、世界でただひとり、初めてこの貴重な資料を著者である内藤敏子に託した。 30年来の親交と深い信頼関係によって長女ミミーはインタビューに答えた。チターの専門家から見た映画「第三の男」に関する出版は世界で初めてのことであ る。本書は秘蔵の資料200点と長女ミミーと家族の記憶をたどった話をもとにまとめたものである。他、チターに関することや貴重な歴史的エピソードも初め て紹介されている。
日本全国の映画ファン、チターファンにとってこの出版が歓びになる事を願い、映画研究者にとって解明の糸口となってほしいことを願っている。

2012年11月22日木曜日

三鷹天命反転住宅見学

三鷹天命反転住宅 建物見学会

三鷹天命反転住宅では、建築および住宅内の見学を希望する方のための見学会を行っております。
この見学会では、普段ご覧いただくことができない住宅内を見学・体験していただけるプログラムをご用意いたしました。建物完成以来、すでに世界十数カ国のメディアで取り上げられている三鷹天命反転住宅。皆さまこの機会にぜひご参加ください。



NEWS!!  2つの割引を行います!
①三鷹割引
 三鷹市在住、在学、在勤の方は500円割引となります。
②複数コース割引 複数コースを一度にご参加の方は、ご参加2コース目より500円割引となります。
※割引の併用はできません。ご了承ください。

矢印コース紹介

コース1 ABRF学芸担当者による建物見学会
ABRF学芸担当者がご案内する見学会です。住宅にこめられたコンセプトや設計者の荒川修作+マドリン・ギンズについての解説を聞きながら、住宅内部を見学・体験していただけるプログラムです。

コース2 建築する身体の見学会
様々な分野の専門家とのコラボレーションによるワークショップ型見学会です。この見学会は、身体の可能性をキーワードに、参加者の皆様にワークショップを体験していただきながら、住宅と関わっていただくプログラムです。

コース2 建築する身体の見学会
小さなお子様も大人も一緒に楽しめるファミリー見学会です。見る・感じるということに重点を当てて住宅を体験してみましょう。思わぬ発見があるかもしれません。もちろんお一人での参加もOKです。



このたびは、三鷹天命反転住宅建物見学会に申込みいただきまして誠にありがと
うございます。
下記の通りお申し込みを受付けました。

※ご予定の件了解いたしました。ご無理なさらず変更される際はお気軽にご連絡
ください。 
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 ご連絡ありがとうございます。
見学会の最中に撮影のお時間を設けております。
ご自由に撮影いただけますので、ぜひカメラをご持参ください。

それでは25日に見たか天命反転住宅にてお待ちしております。
取り急ぎご報告まで。
 
 
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○日時

2012/11/25/14:00~コース2「建築する身体の見学会」

・開場時間は必ずお守りください。
・受付は開場の5分前より開始いたします。

○予約人数
大人2人
(合計5,000円)

・当日会場にてご精算となります。
 おつりが出ないように代金をご用意ください。
・三鷹在住割引を適用される場合は、在住されていることが分かるもの
(身分証明書など)をご持参ください。


○注意事項

・コース2「建築する身体の見学会」は、体を動かすプログラムとなっておりま
すので、動きやすい格好でご参加ください。ストッキングやスカート等での参加
はご遠慮ください。

・駐車場のご用意がございません。
三鷹天命反転住宅にお越しの際は公共交通機関をお使いの上お越しください。
中央線「武蔵境」よりバスもしくはタクシーが便利です。
(バス便:小田急バス「境91 狛江駅(調布駅経由)」行 大沢下車 徒歩1
分、天文台北交差点すぐ)

アクセスについては下記URLをご覧ください。
http://www.architectural-body.com/mitaka/access.html

・予約制での見学会につき少人数制とさせていただきます。当日キャン
セルはご遠慮ください。キャンセルの場合は、3日前までに下記の方法でご連絡
願います。ご連絡がない場合はキャンセル料が発生する場合がございます。

① メール  info@architectural-body.com まで
② 電話 :0422(26)4966まで(月ー金 10:00-17:00)


それでは皆様のお越しをお待ちしております。


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株式会社ABRF
〒181-0015
東京都三鷹市大沢2丁目2-8 三鷹天命反転住宅101
Tel(0422)26-4966
Fax(0422)26-4967
mail info@architectural-body.com

「荒川修作+マドリン・ギンズ オフィシャルホームページ」
http://www.architectural-body.com

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 三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller は、芸術家/建築家の荒川修作+マドリン・ギンズによる、世界で最初に完成した「死なないための住宅」です。
この全部で9戸の集合住宅は、内外装に14色の鮮やかな色が施され、一部屋一部屋の色の組合せが全く異なることから、「極彩色の死なない家」(瀬戸内寂聴氏)として、東京西郊外の三鷹市のランドマーク的存在にもなっています。

2005年の完成以来、世界十数カ国から人々が訪れ、数々の新聞・雑誌・TV・インターネットサイトにも紹介をされ続けていますが、この建物の大きな特徴は訪れた人の身体を揺さぶる感覚が、人間の持つ可能性に気づかせてくれることにあります。

私たちが多くの時間を過ごす住宅。荒川修作+マドリン・ギンズの長年の研究から、一人一人の身体が中心となるよう、設計・構築された空間と環境は、建築 界にも大きな衝撃を与えています。また、芸術作品の中に住める住宅として、今後の芸術が担うべき社会での役割の新しい提案ともいえるでしょう。

「死なないための家」、そして In Memory of Helen Keller ~ヘレン・ケラーのために~ と謳われる理由には、さまざまな身体能力の違いを越えて、この住宅には住む人それぞれに合った使用の仕方があり、その使用法は自由であるということが言え ます。3歳の子どもが大人より使いこなせる場所もあれば、70歳以上の大人にしかできない動きも生じます。
私たち一人一人の身体はすべて異なっており、日々変化するものでもあります。与えられた環境・条件をあたりまえと思わずにちょっと過ごしてみるだけで、今 まで不可能と思われていたことが可能になるかもしれない=天命反転が可能になる、ということでもあります。荒川修作+マドリン・ギンズは「天命反転」の実 践を成し遂げた人物として、ヘレン・ケラーを作品を制作する上でのモデルとしています。
三鷹天命反転住宅は、私たち一人一人がヘレン・ケラーのようになれる可能性を秘めています。その意味において、三鷹天命反転住宅は「死なないための家」となるのです。

現在、一部を賃貸住宅として、また一部は教育・文化プログラムを発信する場として、荒川修作+マドリン・ギンズの東京事務所(ABRF、Inc.)が管理・運営を行っています。

三鷹天命反転住宅



三鷹天命反転住宅 ヘレンケラーのために
荒川修作+マドリン・ギンズの死に抗する建築

建築概要


建物名 三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller
所在地 東京都東京都三鷹市大沢2-2-8
建築設計 荒川修作+マドリン・ギンズ
安井建築設計事務所
建築施工 竹中工務店
竣 工 2005年10月
主要用途 共同住宅
構 造 壁式プレキャストコンクリート造、鉄骨コンクリート造、一部鉄骨造
建築面積 260.61㎡
述床面積 761.46㎡

お問い合わせ



会社名 株式会社ABRF (ABRF,Inc.)
住 所 東京都三鷹市大沢2-2-8 三鷹天命反転住宅101
T E L 0422-26-4966
F A X 0422-26-4967
E-mail info@architectural-body.com

※お問い合わせはメールにてお願いいたします。 取材、講演のご依頼等もこちらにお問い合わせください。

著作権について

「ARCHITECTURAL BODY 」(http://www.architectural-body.com/)に含まれる内容のすべて(文章,写真,およびそれらの組合せとしてのページ デザイン)は荒川修作+マドリン・ギンズおよび株式会社ABRFが著作権を有しており、その扱いは日本の著作権法に従います。ただし、リンクについてはこ の限りではありません。 私的利用・引用・その他法律が認めた範囲をこえて、本ページの内容の全体もしくは一部を、無断で雑誌・本・CD-ROM・WWWページその他の媒体に複製 し,頒布あるいは閲覧させる等の行為を一切禁じます。

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雑誌などに掲載の際は、各撮影者の許可をとっていただきます。
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マルセル・デュシャンとは

                    
                        




    

デュシャンが見抜いた「美術の仕組み」

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「泉」が変えた美術鑑賞法

「泉」は、その色・形によって何かを表現しようとしていません。便器そのもの自体に何も意味がないのです。また、便器の様に量産されたものでも芸術作品になりうるということを、ただ単に提示したわけでもありません。
便器の提出によって、従来の芸術を否定するとともに(反芸術)、美術とは何かを 問うたのです。それまで誰も信じて疑おうとしなかった芸術についての考え方(芸術概念)や芸術の仕組みそのものを問おうとしたのです。展覧会に作品として 出品された便器と、ショーウィンドウに置かれた便器は何が違うのでしょう?両方とも人間によって作られたものなのですが、物以上の、作品として成り立たせ ているものは何なのでしょう?デュシャンは、作者が「美術とは何か」を問い、その答えを示したものが作品であると考えたのです。美術評論家の藤枝晃雄は、 このようなデュシャンの作品を「芸術についての芸術」「目に見えない芸術」と評しています。現代美術とは、「現代美術とは何かを問う芸術」なのです。

「泉」によって、従来の眼で見て楽しむ鑑賞から、作者の考えを知ることが鑑賞となるアートの流れが作りだされたのです。作品は、作者と作者の考えを知ろうとする鑑賞者によって作られるのです。鑑賞者の作品への働きかけが、その作品の意味を作り出すのです。
アートは鑑賞者なしでは存在しないのです。

デュシャンが見抜いた美術の仕組み

美術を成り立たせているのは、美術という制度である

展 覧会という制度化された組織が、便器をアートと認めて展示をすればアートとなり、認めなければアートにならない。美術はアートワールド(評論家、画商、コ レクター、学芸員たちからなるネッットワーク)と美術館や展覧会という美術制度で成り立ち、美術という制度にのったものがアートとして認められるのです。

美術品が美術館にあるのではなく、美術館にあるから美術品なのです

その他のレディ・メイド

《折れた腕の前に》1915年
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雪かきショベルを金物屋で買ってきて「デュシャンから1915」と書き入れて作品としました。デュシャンが初めて「レディメイド」と呼んだ作品。

《パリの空気50cc》1919年
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パリからアメリカに渡る時、アンプルを空にして中にパリの空気を封じ込めました。お金で何でも買えるアメリカのパトロンに、金で買えないものを土産とした作品。

《L・H・O・O・Q》1919年
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モ ナリザの複製画に鉛筆でひげを描き加えた作品。題名のアルファベットの音をフランス語の綴りに置き換えると「エル・ア・ショー・オー・キュー」となり「彼 女の尻は熱い」の意味になります。モナリザについての性的な暗示になっていて、ダダ的な偶像破壊の精神と皮肉が込められています。

《エナメルを塗られたアポリネール》1917年
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「サポリン・ペイント」という塗料会社の広告に手を入れ、会社名を詩人のアポリネールの名前に変えて言葉遊びをしている作品

《なりたての未亡人/フレッシュ・ウイドー》1920年

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建具屋に作らせたミニチュアのフランス窓のガラスを黒い革で覆った作品。題はフレンチ・ウインドー(フランス窓)との語呂あわせ。

秘かに作られていた遺作
《1.滝、2.照明用ガス、が与えられたとせよ》1946年~1966年
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作 家活動を停止して、20年間チェスに明け暮れていたと思われていましたが、秘かにこの作品を作り続けていたことが死後明らかになり遺作となりました。古い 木の扉の覗き穴から見ると、背景には滝が流れ、ガス灯を持った裸体の女性が横たわるリアルに作られたセットが見える仕組になっています。アートが映像に近 づいた今日のアートシーンを予言しているかのような作品で、映像的な感覚を強く抱かせます。
       20世紀美術は、デュシャンなしでは語れない

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従来の芸術の成り立ちや仕組みを変えた芸術家。20世紀美術に最も影響を与えた芸術家の一人。難解な表現が多い現代美術(コンテンポラリーアート)の先駆者。
1915年第一次世界大戦を避け、パリからニューヨークに移住。マン・レイ、ピカビアらとニューヨーク・ダダを展開する。

【初期の画家時代】1904~1914年

二人の兄から影響を受け、1904年、17歳でパリに出て美術学校に入学します。初めて油彩画に取り組んだ1902年から、印象派、セザンヌ、象徴主義、フォーヴィスム、キュビスムなど既に確立していた様々なスタイルを短期間で吸収して、多様な表現を試みました。

《画家の父親の肖像》1910年
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セザンヌを思わせる画風で、セザンヌを研究していたことが推測される一枚です。

《階段を下りる裸体 №2》1912年
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階 段を降りる裸婦が機械的に描かれています。人体の運動中の連続写真を参考にして、連続運動を分解して組み立て直した作品。キュビスムの対象を分解して再構 成する描き方が窺われます。1912年のアンデパンダンテ展に出品すると、他の立体派の画家たちから、裸体は横たわるもので決して降りてくるものではない と題名の変更を要求されたり、「運動」を表現したことを批判された(キュビスムにおいて動くのは画家)。しかし翌年の1913年のアメリカの展覧会では大 きな反響を呼び、アメリカではデュシャンの名前はよく知られるようになりました。

【「絵画」に見切りをつけ、絵画制作を放棄する】
デュシャンは1914年を最後に絵画制作を止めました。それに代わるものとして、眼と手に頼らず思考力によって生み出される知的な表現の探求を開始しました。

なぜ絵画を描くことをやめたのか

理由その1「それまでの絵画はあまりにも画家の眼(網膜)と何年も修練した手の技(腕)に頼り過ぎている」と
      絵画に批判的だった。

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モネ《右向きの日傘の女》1886年  

眼の快楽で描かれている」と批判


あまりにも感覚や技術に頼り過ぎている。網膜的な絵画を否定。


「美術を感覚や手わざに頼って描かれた絵画に限定する必要はない」


「芸術は思考を表現する手段。思考そのものが芸術に他ならない。眼の問題ではなく頭脳の問題である」

"思考力(観念・言葉)によって作品を創り出す"

理由その2 フランスでは、詩人や文学者は知性が高く、画家は「画家のように愚かなり」と愚か者のたとえに
      使われる程、知性が低いと思われていました。デュシャンはそうした風潮に反発し知的な人間に
      なりたかったのです。


【ニューヨーク時代の作品 1915年~  】

《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》1915~23年 277.5×175.9㎝

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第 一次世界を避けて渡ってきたニューヨークで制作が開始されました。1915年以降8年にわたり、断続的に制作されたが、1923年にデュシャン自身の手に より「未完成」として放棄されてしまいました。様々な解釈がなされる謎めいた作品です。《大ガラス》と呼ばれ、大きなガラス板に油彩で彩色されています。

欲望にかられた花嫁と独身者たちの物語。デュシャンにとって最も重要な作品の一つ

上 半分は「花嫁の王国」下半分は「独身者の機械」に分けられます。「独身者」では、独身者たちの性の衝動や性エネルギー、満たされぬ欲望が表現されており、 「花嫁」では、欲望にかられた花嫁が、独身者たちによって裸にされることを望んでいるが果たされないさまが描かれてます。独身者も花嫁も交わろうとしても 永遠に出会うこともなく、欲望も遂げられない肉体的なエロスの不毛さが表現されています。

デュシャンによる "掟破りの美術「レディ・メイド」"
レディ・メイドとは
既製品を意味する言葉。当初の目的とは違った使われ方をされた既製品。デュシャンが発明した、大量生産の既製品を「芸術」として提示する表現形式。

《自転車の車輪》1913年
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「レディ・メイド」の最初の作品。デュシャンは、木製の台所用イスに自転車の車輪を逆さまに取り付けて、アトリエで車輪を回転させては、壁に映し出される影を眺め思索に耽りました。既製品がそのまま使われたのではなく、手が加えられたレディメイドです。

《瓶乾燥機》1914年
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店で買ってきた既製品の瓶乾燥器にサインと短い文を書き込んだだけの作品。手が加えられていないレディ・メイド。

美術史上最大のスキャンダルの一つを引き起こす

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《泉》1917年 世界一有名な便器

男子用小便器に署名をして題名を付けて展覧会に出品!

1917年デュシャンは、配管会社のショールームから工場で量産された男子用小便器一つを選び、アトリエに持ち帰りました。

便器にデュシャンではなく「R・Mutt(マット)1917」と架空の名前を署名(サイン)する。

「泉」と題名をつけ、誰でも出品できる無審査の展覧会に、リチャード・マットの名前で"作品"として出品した。

"便器"を出品したことがスキャンダルとなる。展覧会側は展示を拒否。展覧会の期間中は人目に触れないよう放置され展示されませんでした。その後、所在不明になってしまいます。

拒否された理由 1.便器を展覧会に出品することは道徳に反して下品である
           2.創造性がない。出品者本人が作った便器ではない。
           3.独創性がない。便器のデザインの剽窃(盗み取り)である。


展示を拒否されたデュシャンの反論
デュシャンは別の評論家を装って、自分が発行する雑誌にマット氏を擁護する反論文を掲載し、展覧会側の対応を非難しました。

「マッ ト氏が自らの手で「泉」を作ったかどうかは重要ではない。彼がそれを選んだのだ。彼が日用品を取り上げて新しい題名を付け、見方を変え、その使用上の意味 が失われてしまうようにそれを置いた。こうしてその物体に対する新しい考えを創造したのだ」              (雑誌「盲目の男」誌上の反論)
※ 物の使用目的や使用方法を変えると、同じ物にもかかわらず全く新しい物として存在し始めます。その物にまとわりついた意味が失われ、本来の物として「あらゆる意味から自由になった物」として存在するようになります。

日用品の便器を、日常の世界から芸術の世界に「ずらす」と、物としての新しい見方が生まれアートになるのです。

【既存のアートと、レディ・メイドとの違い】

デュシャンは、偏に画家の「眼」と「手」だけを頼りにして描かれ、眼による快楽と手仕事によってなされてきたこれまでの絵画を否定します。

既存のアート

 ・画家本人だけに備わった感覚と表現技術によって制作。
 ・一点かぎりの自作として、自分のサインを入れる。
 ・オリジナリティーに価値が置かれる。

レディ・メイド


 ・美的感覚によらずに既製品を選ぶ
 ・量産された工場製品にサインをして題名を付けて、美術作品と表明
 ・既製品なので同じ作品が幾つも作れる。傷ついたり古くなったら新しいものと取り変えてもよい。
  失われたら再制作もできる。
 ・複製品(レプリカ)であっても作品の意味は変わらない。

【レディ・メイドとアートについてのデュシャンの考え方】
[アートを感覚の領域による表現から思考の領域による表現に移す]

描くことや作ることだけがアートではない。アートを成り立たせるのは美術家の優れた腕(技量)ではなく、美術家が既製品の中から、「選ぶこと(選択行為)」と、それに署名をし題名を付けて美術品と「名づけること(命名行為)」だけでアートになるのではないか

※ 近代芸術の純粋な美を追求してきた画家の感覚や感性を捨て去る行為として、
  デュシャンは「選ぶ」という方法をとりました。

「芸術は思考を表現する手段。いやそれどころか思考そのものが、まさに芸術にほかならない。単なる眼の問題でなく、頭脳の問題なのだ」マルセル・デュシャン

デュシャ ンは、「作者が美術とは何であるかを問い、その答えを示したのが作品である」と考えました。

2012年11月22日
11/30(金)までに貸出をお願いします。
取り置き期限を過ぎると自動的にキャンセルされます。
《休館日》月曜日,第3木曜日,祝日(11/23)

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予約受付日:2012/11/21 受取指定館:三中分館 
タイトル:ダダ                            
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土浦市立図書館